失恋、あるいは詩の裏切りとして――尾崎翠「第七官界彷徨」を読む③

 

(②の続き)

 

――恋と模倣

 

 はじめに「第七官界彷徨」の書誌を簡単にまとめてみる。現行のテキストは1931年6月発行の『新興芸術研究』(2輯)に掲載された全編であるが、それに先立ち、『文学党員』(1931年2-3月号)誌上で既にその七分の四ほどが前・中編として発表されていた。しかし、現行の全編と初出の原稿とのちがいは後編にあたる箇所の有無にとどまらず、前編の冒頭にあった「私の生涯には、ひとつの模倣が偉きい力となつてはたらいてゐはしないであらうか。」という一文が全編からは削られていた。付け加えると、尾崎は全編の掲載に伴い、同じく『新興芸術研究』(2輯)で「「第七官界彷徨」の構図その他」を発表している。この短い報告のなかで、尾崎は次のように述べていた。

 

(前略)劈頭の二行を削除したことは、最初の構図の形状をまつたく変形させる結果を招きました。最初の意図では、劈頭の二行は最後の場面を仄示する役割を持つた二行で、したがつて当然最後にこの二行を受けた一場面があり、そして私の配列地図は円形を描いてぐるつと一廻りするプランだつたのです。それが最初の二行を削除し最後の場面を省いたために、結果として私の配列地図は直線に延びてしまひました。

 この直線を私に行はせた原因は第一に時間不足、第二にこの作の最後を理におとさないため。

 しかし私はやはり、もともと円形を描いて製作された私の配列地図に多くの未練を抱いてゐます。今後適当な時間を得てこの物語をふたたび円形に戻す加筆を行ふかも知れません。

(前掲書、p.370)

 

 尾崎によれば、冒頭の一文を削除したことで、それを受ける最後の場面を省略することになり、結果的に当初の円環構造が失われてしまったという。この変更について、尾崎自身は時間不足と作品への配慮からだと説明しているのだが、実際には、ここで尾崎が示唆していた加筆はついに実現されなかった。その理由を作者の事情など外的要因に求めることもできようが、この項でもやはり、可能な限りテキストのレベルで検証していく。

 まずは削除された一文についてみていこう。「ひとつの模倣」が、直後に続く(はずだった)一節の「ひとつの恋」と密接に関係しているのは言うまでもない。〈私〉が詩人になりたいと願っていたことや、〈私〉が詩人の写真と自身の区別を失ってしまう場面を思い出せば、恋の宛先同様、模倣の対象もひとりしかいないだろう。さらには、「ひとつの模倣」が〈私〉の生涯に大きな影響を与えたというのだから、詩人への恋、詩への恋愛もやはり続いていたといってよい。その一方で、〈私〉の恋が決して叶うことのない片恋であったことも事実である。詩人の名前は最後まで分からないし、詩には裏切られつづける。〈私〉は詩を書いている限り失恋しつづける。

 しかし、さきの項の引用(④)に「失恋とは、おお、こんな偉力を人間にはたらきかけるものであらうか」とあるように、〈私〉にとって失恋とは「第七官の詩をかく」ための「一方ならず尊いもの」であった。手に入れたいと願うものが手に入らないからこそ、〈私〉はそれを求めつづけるのであって、恋の宛先との距離なくして失恋の「偉力」がはたらくことはありえない。このことは「ひとつの模倣」の「偉きい力」についても言える。というのも、ひとたび〈私〉があの無名詩人のように書けてしまえば、もはや詩人の「模倣」をする必要はなくなってしまうからだ。

 整理しておけば、第七官(や詩人)との隔絶によって詩に裏切られつづけることが失恋の哀感に連なるというのが、「第七官界彷徨」というテキストをつらぬく法則であった。その意味では、名前に「七」のつく登場人物がいなかったことも示唆的である(注6)。「七」との隔絶の距離が、〈私〉を詩に向かわせる。けれどその距離はいっこうに埋まることがない。「模倣」をしようにも、〈私〉は無名詩人と直接会ったこともないし、彼女の詩(オリジナル)を読んだことすらないのだから、当然の帰結だろう。〈私〉の第七官界彷徨の支えとなるのは、ただひとつ、詩人との合一を可能にしたあの神秘的な体験だけである。

 直截にいって、われわれの考えでは、尾崎翠がその改稿プランを実現しえなかった原因はここにある。尾崎が述べているように、予定されていた最後の場面が、削られた冒頭の一文に対応しているのであれば、そこではおそらく「ひとつの模倣」についての挿話が展開されたはずだ。と同時に、最後の場面を冒頭につなげるためには、語り手の現在と語られる過去を架橋する必要があることも指摘しておかねばならない。削除された一文にせよ、現行テキストの冒頭にせよ、そこでは語る〈私〉と語られる〈私〉の距離がはっきりと意識されていた。尾崎が企図していた円環構造を実現するためには、この距離を埋める作業が不可欠なのだ。

 〈私〉と詩人が共鳴する場面が、円環を支える梃子であるのは言うまでもない。詩人志望の娘が、写真のなかの詩人と自分の区別を失うとき、未来の詩人としての自分の姿が青写真として浮かびあがる。あとはこの青写真を現実のものにすれば、円環は閉じられるはずだった。

 しかし、現行のテキストはこの円環を拒絶する。なぜなら、第七官や詩人との距離によって詩に裏切られつづけることがこのテキストを支える絶対の法則であったからだ。「ひとつの模倣」の「偉きい力」は、詩人との隔絶があってはじめて作動する。失恋の「偉力」は、その恋が叶わない(叶わなかった)からこそ引力をもつ。理想とする詩を書くことができないゆえに〈私〉は書きつづける。円環が閉じられてしまえば、テキストで作動していた力は全て失われてしまうだろう。「第七官界彷徨」という小説の魅力もまた、失われてしまうだろう。

 尾崎翠という作家は、どこかでそのことに気づいたはずなのだ。詩が〈私〉を裏切るように、言葉や小説も作者を裏切る。如何ともしがたいこの事実について、だれよりもまず尾崎自身が、次のように語っていたではないか。

 

ただペンをとつた後で困ることは、場面場面はすでに一つの絵画として頭の中に描かれてゐるのにそれを言葉で描かうとするとき言葉の洪水に出逢つたり、言葉の貧困に陥つたりすることです。言葉はつねに文学の強敵だと思ひます。

(同前、p.367)

 

 これはまさしく、ノートのうえに見た「静物画」を詩に書こうとするときに〈私〉が直面した困難でもあっただろう。詩作のアレゴリーのなかに、言葉に携わる者としての痛切な感覚を読みこむとき、詩に裏切られる〈私〉を介して苦闘する作者の姿が浮かびあがってくる。まぎれもない実感をもって、尾崎は言葉の「洪水」と「貧困」の経験を語っていた。

 しかし、ここにはひとつ矛盾が隠れている。自明のことだが、言葉を疑りぬいた者が、しかしその言葉なくしてなにひとつ語ることができないというジレンマが、ここには確かに存在する。語り手としての〈私〉もまた、かつての〈私〉が見た「静物画」の光景を言葉によって語らなければならなかったはずだ。語り手の現在と語られる過去のあいだには、言葉を操る力の面で大きな断絶がある。この裂け目に橋を架けようとするとき、尾崎は次の問題に直面したであろう。すなわち、言葉の理不尽な抵抗を克服する過程を、「理におと」すことなく言葉で語ることができるのかという問いに。そしてこの問題に突き当たったからこそ、尾崎は改稿プランの放棄をやむなくされたのではないか。これがわれわれの結論である。

 詩人であれ、小説家であれ、言葉に携わる者の宿命として、彼女は言葉に裏切られつづけるだろう。しかし言葉に裏切られてなお彼女は書きつづける。言葉というメディウムの抵抗を、言葉で語るのではなく、言葉に語らせること。それを技術と呼ぶなら、彼女にできるのはこの技術を磨くこと、ただそれだけだ。彼女の言葉に、いつか書き手の受苦が刻みこまれるそのとき、熟達の、まさに論より証拠として、言葉は語りはじめるだろう。

 

 

(注6)「七」のみならず、「四」のつく名前の持ち主も登場しなかったが、語りのなかで浮かび上がる〈私〉を四=詩(=私)として、名指されない「七」を無名詩人としてそれぞれ類推することもできる。